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5年前の、今日の話し

<3月11日(金)のレッスン>

●1045「ゆる体操初級」(多摩センター・坪山)
●1430「ゆる体操初級」(神楽坂・坪山)
●1800「ゆる体操初級」(神楽坂・坪山)

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▲5年前の今日も、金曜日でしたね。
私は午前中、いつもと同じように多摩センターに行ってレッスンを行いました。
ただ、いつもと違ったのはその日、WEBマガジンの取材を受けることになっていたため、午後もそのまま多摩センターに残っていたこと。
レストランで話をしているときに、14時46分がやってきました。

ビルの6階は大きく揺れ、一瞬、
「自分の人生はここで終わってしまうのか・・・?」
という気になりました。

その時の記事は今でもアップされていて、あの時の緊迫した様子も書かれています。

http://ameblo.jp/bizfull-web/entry-10863146260.html

その後私は、多摩センターから歩いて神楽坂の自宅まで帰りました。
ちょうど数日前に、妻が上の子どもを妊娠したことを知ったばかりで、そのことを考えながら歩いていました。

「これから子どもが生まれてくるというのに。これから楽しいことがいっぱい待っているのに、こんなところで死ねるか・・・!」

とにかく、早く家に戻りたくて、歩き続けました。

夜中の1時頃に家に着くと、妻が風呂を沸かせて待っていました。

帰ってきた家に明かりが灯っていて、家族が待っていてくれる。
そのことがどれだけありがたいことか、つくづく感じました。

そしてテレビを見て初めて、
東北で、大変なことが起こったことを知りました。

犠牲になられた方々に対して、生きている我々のできるせめてものことは、
「忘れない」ことと「学んで、生かす」ことではないかと思います。

あの日、私は「家族」のありがたさを学んだ。
一方、被災地では多くの皆さんが、そのかけがえのない「家族」を失った。

この二つのことを、今後も繰り返し繰り返し思い返し、
そして、生かしていきたいと思います。

“シンデレラ”と“郷ひろみ”

<2月28日(日)のレッスン>

● 930「ゆる体操中級」(神楽坂・坪山)
●1050「ゆるウォーク」(神楽坂・坪山)

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▲土曜日の朝。
リビングが美容院に早変わり。

ブログ20160228A

美容師さんはママ。お客さんは、娘。

娘にとっての、目下のファッションリーダーは、“シンデレラ”。
シンデレラは後ろ髪が長いらしく、切らせてくれません。

だから前髪を、目にかからないように切るだけ。

終わるとすぐに鏡を見に行ってチェック。
満足だったようで、一発OK。

「これでかわいくなったからもう(これ以上)切らないでね」

ということで、無事終了。

▲このやり取りを見ながら、自分自身の、遠い昔の記憶が蘇ってきました。
娘の今の年齢よりも、もう少し上。おそらく6歳頃のことだったと思います。

母親に連れられて、床屋にやってきました。

子どもにとって、長時間じっとしていなければならない床屋は、退屈で苦痛な場所。
逆に親にとっては、いかにして子どもを床屋に連れ出し、そして床屋で静かに、じっとさせるかで毎回、大変な苦労をしていたのだと思います。

その日、私は母の、

「床屋さんに行って、郷ひろみみたいにしてもらおう・・・」

という誘い文句に乗って、床屋にやってきたのです。

年の離れた兄弟のいる私は幼稚園生の頃から芸能人の出演する歌番組を見るようになり、6歳のころには当時流行りの歌手や歌を一通り覚えていました。

そんな中で、郷ひろみは当時、西城秀樹や野口五郎と並んで、“かっこ良い男”の代名詞だったのです。

私は子どもながらに、郷ひろみと同じような髪形になって床屋を出る自分の姿を想像し、ワクワクしました。
それがどんな髪型だったかは詳しく思い出せませんが、いつもよりも長い髪型だったことだけは覚えています。

床屋に行って、行く前よりも長い髪になって帰って来ることは基本的にあり得ないのですが、6歳の私にはまだ、そのような冷静な思考力が備わっていなかったようです。

担当した床屋の店員さんは男性でしたが、母親の作戦にすぐに気付いたようで、

「郷ひろみみたいな髪型ね、じっとしていたらすぐに終わるからね・・・」
「もうちょっとで郷ひろみだからね、もうすこしがんばろうね・・・」

などと、盛んに“郷ひろみ”の名前を出して語りかけました。

それに対して私も、
退屈で、窮屈なのはいつもと変わらないけど、ここでがまんすれば郷ひろみみたいになれるんだ
・・・という一念で、じっとしていました。

ここまでは100パーセント、母親の作戦通りだったのだと思います。

そして、ようやく終了。

「 はいできたよ!・・・郷ひろみみたいだね」

と、店員さんは言うけれど、出来上がりの髪型はいつもと何ら変わらない“かりあげ頭”。
郷ひろみとは似ても似つきません。

「こんなの、ぜんぜん郷ひろみじゃないじゃないか!うそだー!」

私はその場で大泣きを始めました。

「そんなことないよ、郷ひろみみたいだよ・・・」
と、母親や店員さんがどうとりなしても、もう収まりません。

なかなか泣き止まない私に困り果てた母親は、苦し紛れにこう言いました。

「この髪型のまま伸びると、郷ひろみになるんだよ・・・」



思えば随分、親に苦労をかけたものです。

それにしても・・・。

6歳の頃にこれだけ強く持っていた「外見」へのこだわりは、その後いつ、どこへ消えてしまったのだろうか。

京王線利用歴30年

<2月24日(水)のレッスン>

● 930「ゆる体操初級」(聖蹟桜ヶ丘・・坪山)
●1055「ゆる体操中級」(聖蹟桜ヶ丘・坪山)
●1500「ゆる体操初級」(錦糸町・坪山)
●1900「ゆる体操初級」(神楽坂・坪山)

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▲またまた、JRと京王線を乗り継いで移動する木曜日。

思えば私が京王線を利用するようになったのは大学生になってから。
いや、もっと正確に言うと中央大学を受験した18歳の2月17日。
ということで、ちょうど利用歴30年を迎えたことになります。

受験をした日は大雪で、京王線の窓からは真っ白に雪を被った山々が見えて、大学受験というより山登りがスキーに来ているような楽しい気分になった記憶があります。

あの日から「京王線」と「多摩」とのご縁が始まり、その後大学・会社、そして現在はゆる体操の指導で週2回ですが、付き合いが続いています。

都会で生まれ育った私にとって、これは実に貴重な出会いでした。

30年で、窓から見える風景もだいぶ変わったように思うのですが、継続して利用する中で少しずつ変わっているからなのか、もしくは単に私の記憶力の問題からか、30年前の風景がどんなだったか、細かく思い出すことはできません。
ただ、もっと緑が多かったような気がします。

風景といえば、電車の中の風景も、随分と変わったような気がします。

まあ、これは京王線に限ったことではありませんが、
いつの間にか、皆がスマホを見るようになりました。

7人掛けの席に座る人全員がスマホを見ているとか、特に珍しくない風景になりました。

30年前といえば、網棚に新聞とか雑誌が置いてあって、それを読んで時間つぶしをする人とかがいたような・・・。


ちなみに話は変わるのですが、
私は京王線内でよく、「息ゆる」(呼吸法系のゆる体操)をやります。

木曜日に指導に行く聖蹟桜ヶ丘も、金曜日に指導に行く多摩センターも、どちらも新宿から30分くらいなのですが、この間「息ゆる」をたっぷりやると、肋骨周りが気持ちよくゆるんで心身ともに「準備OK!」状態になれます。

発声もとても良くなるので、コミュニケーションにもプラスに働きます。

「電車の中で体操をする」といっても、外目に見える動きは伴わないので、周りの方の迷惑になったり、怪しまれることは勿論ありません・・・(笑)。

これは、皆さんにオススメです。

30年後の京王線の車内では、皆が「息ゆる」をやっていたりして・・・(!)

ブログ20160226A

“プロセスの大切さ”を教えてくれたもの

<2月10日(水)のレッスン>

●1030「ゆる体操中級」(神楽坂・坪山)
●1800「ゆる体操中級」(神楽坂・坪山)

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▲子育てをする立場になってから、自分自身がこれまで、いかにして育てられ、成長してきたのか?
・・・ということを振り返る機会が多くなりました。

私自身のこれまでの成長に大きな影響を与えたものとして、決して忘れることができないのが「空手道」です。

私が空手を始めたのは、14歳(中学2年)の時。
松濤館流・日本空手協会の支部道場でした。

空手協会は、空手道の競技化にいち早く着手をした団体ですが、同時に空手の「武道性」に対して強い信念を持つ団体でもあります。

「武道」とは何か?
「スポーツ」とは、どう違うのか?

こうした議論が、空手界ではよくされています。

これについては、様々な観点と様々な意見があり、決まった定義はないようですが、
私は、自分で学んできた経験から、「武道」の最も大事な側面は

「鍛錬」という“プロセス”を通して学んだことを、人生に活かすこと

であると考えています。

そしてその部分が、しばしば「結果至上主義」と評される競技スポーツとの大きな違いでもあると、思います。

空手協会では、こうしたコンセプトが深く根付いていて、それが稽古体系にも反映されていました。
その表れの一つが、「基本」を、徹底的に重視する姿勢です。

空手の稽古体系は「基本」「型」「組手」という大きな三本柱によって構成されています。
テレビの試合中継などで、2人の選手が「突き」や「蹴り」の技をかけあって戦う映像をご覧になられたことがあるかもしれませんが、あれが「組手」。一方、一人で定められた技を演じるのが「型」です。

空手を始める、ほとんどの人間の動機は「強くなる」こと。

であれば、初心者のうちから「組手」をたくさんやれば手っ取り早いのではないか・・・と考えそうなものですが、空手協会の指導方針はそれとは正反対で、入門から数年間のうちは、「基本」や「型」、そして基本的な「約束組手」を通して、強くなるための“土台”をじっくりと練り上げます。

「退屈に感じるかもしれないけど、早く組手をやりたいかもしれないけど、今はこうして基本をじっくりやるんだよ。そうしたら、後で組手をやるようになった時にぐんと伸びていくからな・・・」

16歳の頃、厳しい「移動基本」の稽古の合間に座り込み、荒い息をしていた私に、道場の支部長の先生がかけてくださったこの言葉が、忘れられません。

その後、大学でも空手を続け、組手を多くやるようになった時に、この言葉の意味を身をもって実感することになりました。


空手協会では他に「地力」という言葉がよく使われます。

「あの人は“地力”のある、良い空手をする」
「あの人は試合では勝つけれど“地力”がない」

「地力」とは、プロセスを一歩一歩、着実に積み上げていった者だけが身に着けることのできる、“真の強さ”。

試合の結果とは別に、こうした地力のあるなしを評価する。場合によっては試合の結果以上に、この地力の有無を重視する・・・といった価値観がそこにはあり、その価値観に深い影響を受けながら青年期を過ごしたことが、今の私の「考え方」の根本を形作っているように思います。

その後社会人になり、教育関係の仕事に就いた私は、この「地力」という考え方についてますます関心を深めました。

今、社会人として自分が求めるべき「地力」とは何だろう・・・
人間としての「地力」とは何だろう・・・

そして行きついたのが、高岡英夫先生の提唱される「身体意識」や「本質力」の考え方だった、ということで現在の、「ゆる体操指導員」としての私につながります。

東京オリンピックの追加種目の最終候補に残り、にわかに注目を集める「空手道」。

これが実現すれば大変喜ばしいことではありますが、「スポーツの祭典」に参加するようになった後も、空手道の培ってきたこうした素晴らしい価値観は失わないでほしいな、と、かつて「空手の武道的側面」に育てられた一人として切に祈っています。
ブログ20160210A





錦糸町と、もんじゃと、おばあさんの思い出

<2月4日(木)のレッスン>

● 930「ゆる体操初級」(聖蹟桜ヶ丘・坪山)
●1055「ゆる体操中級」(聖蹟桜ヶ丘・・坪山)
●1500「ゆる体操中級」(錦糸町・坪山)
●1900「ゆる体操初級」(神楽坂・樫村)
●1910「ゆる体操初級」(聖蹟桜ヶ丘・坪山)

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▲今日は例によって「反復横飛び」デー。
ただ、聖蹟桜ヶ丘の1910のレッスンは3月末で終了となるため、このパターンはあと3回を残すのみとなります。

▲私が現在指導を行っている4つの街はなぜか全て、教室を始める以前から、元々ご縁のある街でした。

生まれ育った神楽坂については言うに及ばずですが、
聖蹟桜が丘と多摩センターとのご縁についてはすでにこのブログでご紹介をしましたので、
今日は錦糸町とのご縁について、思い出話を交えながらご紹介したいと思います。

私の通っていた高校は、千葉県船橋市にある私立高校でした。
通学は、飯田橋からJR(当時はまだ国鉄でしたが)総武線で津田沼に行き、
その後新京成線に乗り、最寄り駅を降りて徒歩20分ほどで、合計1時間半はたっぷりとかかりました。

東京方面では私がダントツの遠距離通学者でしたが、両国・錦糸町あたりから通う生徒はちらほらいて、
学校帰りにはよく、彼らと行動を共にしました。

ある土曜日の放課後、錦糸町の友人2人から
「もんじゃを食べに行こう!」
と誘われ、ついていくことになりました。

当時、「もんじゃ」はまだ、東京の下町限定のローカルな食べ物でした。
神楽坂にはこの時点でまだ、「もんじゃ」を食べれる店はなく、
私にとってはこれが初めての体験でした。

ちなみに、錦糸町の駅の近くに「丸井」ができたのが、確か高校1年の秋のこと。
その頃の錦糸町の街の風景は、今とは全く違っていました。

友人の自転車に乗り、見慣れぬ街をしばらく走ってついた先は、なんと駄菓子屋さん。

近所の小学生が群がる入り口を分け入って中に入ると、
狭い空間に鉄板のついたテーブルが一台、置いてありました。

この、駄菓子屋さんで食べるもんじゃが本場のもんじゃだと、2人はなぜか得意げに話します。

3人で食べれるくらいの、大きなボールにいっぱい具が入っていて、値段は確か500円くらいでした。
当時にしても、そして高校生だった私の感覚からも、かなり安い値段だったのを覚えています。

店を仕切っているのは60~70歳くらいのおばあさんでしたが、
「子どもたちに、安い値段でお腹いっぱい食べさせてあげたい・・・」
といった思いだったのでしょう。

おばあさんはまた、もんじゃを食べる我々3人の輪の中に入っていろいろな話をしてくれました。

「●●高校の、体の大きな柔道部の子たちがよく来て、たくさん食べて帰っていく」

といった話から、自分の家族の話まで。

どうもおばあさんは、ご主人が亡くなられてから寂しい思いをされているようで、

「お父さんがいたときは良かった」

と、亡くなられたご主人の話をしきりにされていました。

そしておもむろに引き出しを開け、大事そうに袋に包まれた古い紙を見せてくれました。

「早稲田大学学生証」

・・・亡くなられたご主人の、学生証です。

「私の主人は、早稲田だったんですよ。それで早慶戦の時は二人で、応援に行ったんです・・・」

と、おばあさんはその時のことを思い出したのか、とても嬉しそうな顔をして話しました。


この日、初めて食べた「もんじゃ」も大満足でしたが、
駄菓子屋さんでもんじゃを食べて、おばあさんの身の上話を聞く
・・・という体験が何とも味わい深く、人情味があって、
高校生だった私の心に深く印象に残りました。


こういう駄菓子屋さんて、今でもまだあるのかな?
もしもあるなら、また行ってみたいです・・・。

ブログ20160204A
プロフィール

TEMO-YAN

Author:TEMO-YAN
坪山 佳史 (つぼやま よしふみ)

1967年 東京神楽坂出身。
中央大学商学部卒業後、(株)ベネッセコーポレーションに入社。
12年半の同社勤務を経て退職後、2004年2月に神楽坂ゆる体操教室を開校。
現在、同校を含め都内4か所のスタジオ・カルチャースクールで
「ゆる体操」「ゆるウォーク」を指導。

株式会社坪山佳史事務所 代表取締役
日本ゆる協会公認 ゆる体操正指導員中級

<指導を行っている「ゆる体操教室」>

●神楽坂ゆる体操教室
(2004年2月開校)

●聖蹟桜ヶ丘ゆる体操教室
(2003年9月開校)

●読売日本テレビ文化センター
錦糸町
(2004年7月開校)

●JEUGIAカルチャーセンター
多摩センター
(2004年10月開校)

<指導・運営する小学生対象の私塾>

●神楽坂悠真塾
 (2018年2月開校)

★ゆる体操教室の話し、悠真塾の話し、そして6歳の娘と3歳の息子の話しが、よく出てくると思います(笑)。
皆さんに楽しんでいただけたら幸いです。

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